地勢・歴史

■ 町章
秦荘町
愛知川町
秦荘町の町章
愛知川町の町章


■ 町の木/町の花

秦荘町
愛知川町
うばめがし
つつじ
うばめがし
つつじ
もみじ
ゆり
もみじ
ゆり


■ 面積

秦荘町
愛知川町
25.04キロ平方メートル
12.94キロ平方メートル


■ 人口(平成16年4月1日現在)

秦荘町
愛知川町
人口総数7,944人
人口総数11,665人
男性 3,844人 女性 4,100人
男性 5,827人 女性 5,838人
                           (外国人登録者も含む)                         (外国人登録者も含む)   

■ 世帯数(平成16年4月1日現在)

秦荘町
愛知川町
2,126世帯
3,996世帯
                           (外国人登録者も含む)                         (外国人登録者も含む)

■ 現町誕生

秦荘町
愛知川町
昭和30年4月1日
昭和30年4月1日


■ 予算(平成16年度当初予算)

秦荘町
愛知川町
一般会計 37億4,,500万円
特別会計 22億6,150万円
一般会計 57億9,000万円
特別会計 34億8,647万円


■ 地勢

秦荘町
愛知川町
秦荘町は滋賀県の東部に位置し、南部は湖東町に、西部は愛知川町に、北部は甲良町および豊郷町と接しており、東西11.5km、南北4.5km、総面積25.04kuの純農村地帯です。 町役場の位置は、東経136度14分50秒、北緯35度10分19秒です。 町の東部に鈴鹿山系の山々が3分の1を占め、秦川山、向山があり、同山系から源を発する宇曽川、岩倉川が流れています。 また、秦川山麓から西部に向かい広がる洪積丘陵と宇曽川が堆積した扇状地性緩傾斜地は、農地として古くから拓けた地域であり、自然に富んだ文化の町です。
愛知川町は滋賀県の中央部、湖東平野に位置し、南部は五個荘町、能登川町に、東は秦荘町、湖東町、豊郷町に、北は彦根市に隣接し、東北2.68km、南北5.83km、総面積12.94kuで中仙道沿の商業地とそれを取り囲む農村集落により形成されてきました。 町役場の位置は、東経136度12分55秒、北緯35度9分56秒です。 町全体が平地で、標高は南東において120m、北西においては95mと起伏はきわめて少なく、町の南と北にはそれぞれ琵琶湖にそそぐ一級河川愛知川と一級河川宇曽川が流れ、豊な自然と美しい水辺空間が愛知川町を囲んでいます。


■ 歴史

秦荘町
愛知川町
秦荘町の歴史は古く、各所に集落遺跡等が発見されています。常安寺遺跡、金剛寺野遺跡等の古墳群があって、石器や土器を出土しています。大化の改新によって中央集権的な国家体制が始まり、当地域は蚊野郷、八木郷に属し条里制が施行され「一ノ坪、四ノ坪、十八、十九」などの小字名を残しています。また、白鳳時代の寺院瓦が発見されています。秦川山の西麓に位置する湖東三山で知られる金剛輪寺は聖武天皇勅願により天平13年(741年)に行基菩薩が開山した古い寺院であり、室町時代に全盛期を迎えました。金剛輪寺は、この地域に勢力をもっていた秦氏一族の崇敬を得ていました。荘園の地頭に目加田氏、安孫子氏、狩野氏等の名を残し、中世になると織田信長が近江に入ってきて、当地方を掌握した。信長の死後、秀吉の直轄領となっていた。江戸期は、金剛輪寺領となった松尾寺村30石のほか全て彦根藩井伊家の所領となりました。明治4年の廃藩置県後、大区小区制、郡区町村編成、連合戸長役場制等により管轄区域の変更がありましたが同22年町村制施行により秦川、八木荘の2村が成立し、以後66年間行政区画の変更を見ることもなくそれぞれ地方自治体としてのあゆみを続け、昭和30年4月、この2村が合併し、現在の秦荘町が誕生しました。
愛知川町は弥生時代の前期・後期の土器片が多く出土しており、早くから開けた地域です。田園部には大化の改新の前後に成立したといわれる条里制の遺構が多く残されています。荘園時代には愛知川町を含む一帯は大国荘と呼ばれており、その氏神が今も豊満陣神社に残っています。古くから交通の要衝の地に有り、東山道の宿駅が設けられていましたが、中世後期にはすでに近江の主要八駅のひとつとして愛知川の名は広く知られていました。その後彦根藩井伊氏の封地となった近世には、問屋が三軒、旅館が数十件あり、中山道66番目の宿場町「愛知川宿」として栄えてきました。明治12年以後は、郡役所、警察などの官公署が設立され郡の首邑として繁栄。明治31年に近江鉄道が開通し、町はこの地方の中心都市として発展しました。明治30年代には戸数1000有戸余、人口6000人を超え、人口密度も1ku当たり700人となり、郡役所をはじめ多くの官公署や商家を有して、町としての機能を備えており、明治42年10月県下14番目の町として愛知川町が成立しました。昭和28年公布の町村合併促進法により、愛知川町と豊国村が同30年に合併し、現在の愛知川町が誕生しました。その後、恵まれた立地条件を生かし企業誘致に力を入れ、優良企業が立地し、活力とうるおいのあるまちづくりに力を入れています。


■ 町の概要

秦荘町
愛知川町
秦荘町は、鈴鹿山脈の山間地帯と、水田を中心とした農業地帯に分けられ、秦川山を中心とした山並みや湖東平野など、美しい自然景観に恵まれています。鎌倉時代の堂々たる風格をもつ金剛輪寺や手織りの里「金剛苑」などの観光資源によって多くの観光客が毎年訪れ、また、東部の山岳地域は自然探勝やスポーツレジャーなどの自然を生かした野外レクレーション機能を開発しています。
湖東平野に位置する愛知川町は、市街地部を中山道と並行してほぼ南北に国道8号、近江鉄道、JR東海道新幹線が走っています。当町に古くから伝わる「びん細工手まり」は、その繊細な技術と華麗な美術面で高い評価をいただき、地域振興の宝として広く展開しています。歴史のある愛知川祇園納涼花火大会は、夏の風物詩として多くの人が訪れ、中山道66番祭など新たなまちおこしも取り組まれています。