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中山道愛知川宿

更新日:2019年12月26日

中山道愛知川宿

愛知川宿は中山道65番目の宿場町として設置され、河川愛知川の川止宿として繁栄しました。江戸期は、伊勢から多賀大社への参詣のため通行した春日局をはじめ、多くの人が往来しました。中でも、紀伊徳川家の参勤交代の行列は大規模なもので、多いときには総勢1,800人にも及びました。幕末では、皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐときも行列が愛知川宿に宿泊しています。愛知川宿を通行した和宮の行列は、6,750余人であったといわれています。この他、象が通ったという記録もあり、これは清の商人が徳川吉宗に献上するためであったといわれています。

愛知川の宿場は、宿場の規模としては中ぐらいでしたが、活気あふれ、にぎわいのある宿場町として発展していました。愛知川商人と呼ばれる人々がこの地を発展させてきたのですが、宿場町としての歴史と伝統を受け継いで、その後も長い間、商業のまちとして栄えてきました。現代でも、当時隆盛をきわめた宿場町の面影がまちのところどころに残っています。どっしりと構える常夜灯や脇本陣跡の石碑はその代表で、宿場町としてにぎわっていた当時をしのばせています。

また今も商店街として活気づいている中山道沿いの家並みを見ると、格子を組んだ窓のある家がちらほら残っており、まちの歴史の一端をかいま見ることができます。