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目賀田城跡公園

更新日:2020年01月07日

目賀田城跡公園

目賀田氏は、戦国期に近江国守護の佐々木六角氏の重臣として活躍します。
天正四年(1578)、織田信長が近江に侵攻して安土城を築くにあたり、安土山(目加田山)に在った屋敷を目加田貞政の所領である光明寺野(目加田)に移しました。
天正十年(1582)の本能寺の変勃発後、城主堅政は明智光秀に加担したため秀吉に所領を没収され、一族は離散。慶長二年(1597)廃城になりました。
目賀田城跡公園には城館の周濠跡や、比高三メートルの土塁が部分的に残され、公園入り口付近には舟入と見られる内湾部(内堀)が確認できます。