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常設展示

更新日:2019年12月25日

展示されている金銅造聖観音坐像のレプリカの白黒写真

金銅造聖観音坐像(こんどうぞうしょうかんのんざぞう)

 金剛輪寺旧蔵、現在米国ボストン美術館(ビゲロー・コレクション)で所蔵され、海外流出した日本至宝の文化財の一点である。
 比較的大型の金銅仏であるが、光背などは繊細に造られている。
 展示品はレプリカであるが、米国ボストン美術館の特別な許可を得て、鎌倉時代当時の技術を再現しながら制作したものである。
 銅造鍍金、文永6年(1269)西智作、総高106.5センチメートル
銘文(抜粋)「…松尾寺本堂奉安置…願主犬上利吉并芳縁依智秦氏…」

金剛輪寺に展示されている工芸品の写真

天台の古刹 金剛輪寺

 西明寺(甲良町)、百済寺(東近江市)とともに湖東三山の一つとして栄えた金剛輪寺は、天平13年(741)行基によって開基され、円仁(慈覚大師)が中興したと伝えられる天台宗の古刹です。
 同寺には国宝の本堂(弘安11年<1288>建立)、重要文化財の三重塔をはじめ、仏像、工芸品などに数多くの逸品が残されています。
 また、同寺が最も隆盛する室町時代には、一山に百余の塔頭が築かれていたとされ、発掘調査によっても興味深い遺構や遺物が出土しています。

金剛輪寺梵鐘の全体写真

金剛輪寺梵鐘(滋賀県指定文化財)

 金剛輪寺は、寺伝によると天平13年(741)行基によって開基、嘉祥年間(850年頃)に円仁により中興とされる天台宗の古刹です。
 同寺の梵鐘は、乾元年間に河内国丹南郡黒山郷の河内助安により鋳造されています。黒山郷は大阪府堺市美原区黒山地区を中心にした地域です。平安時代から鎌倉時代にかけて、梵鐘鋳造をほぼ独占的に行っていた鋳造技術者集団の河内鋳物師の本拠地にあたります。河内助安はその河内鋳物師の一人であり、滋賀県では長浜市本誓寺に同じ河内助安作の梵鐘が伝わっています。金剛輪寺の梵鐘は助安晩年の作と考えられ、細部や撞座などに熟練の冴えが見られます。

人形や幕などで鮮やかに装飾された太鼓を展示している写真

堅井之大宮春祭り

 岩倉集落の堅井之大宮(軽野神社)において、毎年4月20日前後の日曜日に春大祭が催される。
 岩倉川沿い9つの集落(斧磨・松尾寺・岩倉・竹原・西出・東出・深草・円城寺・常安寺)からそれぞれ曳山が出され、若衆による勇壮な巡行が見物である。曳山の舞台上では、豪華絢爛たる衣装をまとった人形による演劇の情景が表現されており、各集落はその出来映えを競う。
 このほか宮後の八木神社、蚊野の軽野神社、目加田の春日神社、あるいは安孫子の安孫子神社などで同時期に例大祭がある。

曳山まつりに関する資料や展示物の写真

滋賀県の曳山まつり

 現在、滋賀県では湖東地方、湖北地方を中心に24か所において曳山まつりが行われている。
 その形態は大きく「長浜型」「大津型」「日野型」に類型化されている。 堅井之大宮の曳山(愛荘町)は「日野型」に相当する。

目加田唐箕模型の写真

目加田唐箕模型

 愛荘町目加田集落では、明治半ばから末にかけて「目加田唐箕」が生産されていました。唐箕とは穀物を風の力で選別する農機具で、「目加田唐箕」はその唐箕の改良型と考えられます。金剛輪寺には、目加田唐箕の改良に金剛輪寺の住職が関わったという言い伝えとともにこの唐箕の模型が伝わっています。
 明治維新の風あたりは烈しく、明治4年正月には社寺領すべての上地を布告された金剛輪寺でしたが、住職等が奔走するなどして明治20年から40年代にかけて、旧寺有山林等の回復を果たしました。目加田唐箕の模型は、一応の落ち着きを取り戻した金剛輪寺が、その知見を地域産業の発展に活かしたことを示すもので、当時の寺と集落とのかかわりを考えるうえで大変興味深いものです。

赤い敷物の上に展示されている習書木簡の写真

習書木簡

 畑田にある畑田廃寺遺跡から出土した木簡。「秦」「大」あるいは「火」の文字が何度も書かれていることから、木簡のなかでも文字の練習に使われた「習書木簡」とよばれている。
 畑田廃寺遺跡は、従来より依智 秦氏との関係が指摘されており、同木簡の出土はこれを裏付けるものとして注目される。

赤い敷物の上に展示されている湖東式軒瓦の写真

湖東式軒瓦

 滋賀県の湖東地方に分布する古代寺院を中心に福井県(越前町)や岐阜県(各務原市、美濃加茂市、関市、坂祝町、笠松町)、愛知県(一宮市、江南市)長野県(長野市)の一部で出土する特徴的な瓦。
 軒丸瓦(のきまるがわら)においては、単弁・複弁蓮華紋(たんべん・ふくべんれんげもん)と呼ばれ、中房(ちゅうぼう)に大きな蓮子(れんじ)を付け、十字の界線が施される。外区は内縁に殊文帯を配し、外縁には二重圏線を施す。
 軒平瓦(のきひらがわら)は重弧紋の下端部を指で押して波状にしたもので指圧波状重弧文(しあつはじょうじゅうこもん)とよばれている。
 同軒丸瓦は朝鮮半島において出土したものと類似しており、渡来文化の影響が指摘されている。

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