紙本著色熊野観心十界曼荼羅図

更新日:2019年12月25日

愛知川、寶満寺所有

紙本著色熊野観心十界曼荼羅図

1.部門

有形民俗(有民第1号)

2.名称

紙本著色熊野観心十界曼荼羅図

3.所在地

愛荘町愛知川 寶満寺

4.時代

江戸時代

5.法 量

縦 145.2センチメートル
横 126.3センチメートル

6.品質構造

紙本著色、掛幅装 1幅

7.附属情報

箱書(表)「曼陀羅絵 一幅」
箱書(裏)「負別山宝満寺什物 塚本 貞治郎寄附」
箱書(旧箱)「 天保初六乙未仲春修覆 琶湖東愛知郡磯部邑仙峯山善法寺什物」

8.来歴

 「熊野観心十界曼荼羅」は、昭和12年に篤志家から寶満寺に寄付されたものである。箱書に「仙峯山善法寺什物」とあることから、この「熊野観心十界曼荼羅」は石部神社の別当寺であった善法寺に伝来していたことが分かる。

9.内容

 「熊野観心十界曼荼羅」は日本人の死生観を大画面に展開させた宗教絵画である。現在、寶満寺本を含めて46例が確認されている。「熊野観心十界曼荼羅」は宗教者による絵解き教化を目的に制作されたと考えられ、熊野比丘尼との結びつきが指摘されている。熊野比丘尼の遺品としては、「那智参詣曼荼羅」「熊野本地絵巻」「浄土双六」がひろく知られている。熊野比丘尼は紀州の熊野三山(本宮・新宮・速玉)へ香花、燈明、仏供を奉納し、堂社の修理をするために勧進をした半僧半俗の女性の宗教者である。熊野比丘尼が絵解きに用いた説教用絵画は、浅井了意の『東海道名所記』によれば「熊野の絵」と称された。江戸時代の風俗図屏風や文芸書などの挿絵によると、熊野比丘尼が「老いの坂」や「閻魔王の裁き」「女性の地獄」そして、「熊野観心十界曼荼羅」などを絵解く場面を描いている。おそらく「熊野の絵」とは、熊野比丘尼が持ち歩いた説教用絵画の総称であったと考えられる。「熊野観心十界曼荼羅」の図像は17世紀頃には成立していたと推測され、17世紀から19世紀にいたるまで制作され続けた。全体的には18世紀に制作されたものが多く確認されている。
 寶満寺本は、折りたたんだ線が残されていること、十界の菩薩が左右の天女であること、紙継ぎが階段状であること、こうした点から「定型本」乙系統(18世紀ごろ)に属す作例であることがわかる。

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