木造十二神将像
彫第9号
1.部門
彫刻
2.所在地
愛荘町松尾寺 金剛輪寺(護摩堂)
3.所有者
金剛輪寺 代表役員 住職 濱中 光礼
4.時代
鎌倉時代(鎌倉中期から後期)
5.内容
金剛輪寺護摩堂に伝来する木造の十二神将像。現状では厨子入りの木造薬師如来坐像と一具となるが、当初より一具であったとの判断にはやや否定的である。作風は、頭体のバランスが良くとれて写実的な像が多く、特に第2号像は、適度に重量感もあり神将像としての筋肉質な肉体を十二分に表している。面像部の筋肉の付き方などは、東大寺南大門金剛力士像を髣髴させるものがあり、本像が慶派仏師に近い仏師の造像になることを想像させるものがある。また、第9号像の前かがみの姿勢ながらバランスの取れた表現は、興福寺東金堂の十二神将像(慶派仏師のうち定慶周辺の作)を思わせるほか、第7号像の細身ながらも均等の取れた姿勢は大変優れており、眉を寄せた面部の表現には高野山金剛峰寺の運慶作の八大童子像の系譜に連なる作風を見せている。また、第11号像の上半身を裸形に表し、両肩を引き気味にして胸の筋肉を強調するさまは、三十三間堂の二十八部衆の中の金剛力士像(湛慶工房の作か)や鎌倉前期の金剛力士像などに見られる姿勢と表現である。一方、バランスのやや崩れた像も中には見受けられ、さらには彩色や截金文様もやや稚拙なものもあることから、工房として受注を受け、複数の仏師による造像が考えられる。あるいは、彩色の技法や表現から見て、鎌倉中期から後期の作と考えられる像もあることから、各像の制作にはやや時間幅をもつ可能性も考えられる。作域にややばらつきがあるため、全体的としての造像年を決めることは容易ではないが、作風や技法などから鑑みて、13世紀の第2から第3四半期の造像と思われる都ぶりの十二神将像として大変貴重である。

第1号像

第2号像

第3号像

第4号像

第5号像

第6号像

第7号像

第8号像

第9号像

第10号像

第11号像

第12号像
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更新日:2019年12月25日