木造聖観音立像(廣照寺)

更新日:2019年12月25日

畑田、廣照寺所有 

1.部門

彫刻(彫第4号)

2.名称

木造聖観音立像
 附 像内納入品
一、木造阿弥陀如来立像 1躯
八角柱状の台座に明治18年の墨書がある
一、当初材断片 3点

3.所在地

愛荘町畑田 廣照寺

4.時代

鎌倉時代

5.形状 

 高髻。天冠台(上から列弁1、紐2条を基本帯とし、両耳前、両耳後の計4箇所で波状をえがく。中央および両側に菊座をあらわし、各菊座に髪を絡める)をあらわす。天冠台上下とも髪筋を彫出。耳朶環状貫通、鬢髪1条耳を渡る。白毫相、三道をあらわす。天衣、条帛をつける。裙は正面にて右前に打ち合わせ、両側面膝下あたりの高さでたくりをあらわす。下端を細かく波打たせる腰布と、腰帯をつけ、裙の折り返しをあらわす。腹前に腰紐(無文帯)をのぞかせる。腹の括りは1重。臍をあらわす。左手は屈臂して掌を正面にむけて1、3、4指を捻じて蓮華を執り、右手は垂下して掌を正面やや左にむけて1、3指を捻じる。顔を正面にむけ、腰を左にひねり、右膝を軽く遊ばせて、右足をわずかに踏み出して立つ。天冠、胸飾、腕釧、臂釧をつける。

6.品質構造 

 針葉樹材、一木割矧造、漆箔、玉眼。体幹部は頭体を通じて1材より彫出し、頭部では左耳後部を含んで右耳後を、体部では両体側半ばを通る線で前後に割り矧ぎ、さらに割首するとみられる。内刳りを施し、内刳り面は黒漆塗。髻、両肩以下、両足先、天衣遊離部は別材を矧ぐ。背面中央腰帯下から地付より5センチメートルほど上までをほぼ長方形の窓状に切り取り、蓋板をあてる。白毫水晶製嵌入。天冠、胸飾、腕釧、臂釧は金属製。

7.納入品

  1. 木造阿弥陀如来立像 1躯 像高33.4センチメートル。
    明治18年(1885)の銘のある八角柱(無量壽教墨書)上に据えられる。
  2. 当初材断片 3片
    焼損痕あり。現状の背面蓋板状の部分(後補)の当初材にあたる。

8.内容

 廣照寺脇壇に安置される。慶派の流れを引く仏師による鎌倉時代の作。優れたできばえをみせ、愛荘町愛知川地区を代表する仏像のひとつ。
 現状で背面上方には表面に「焼損」あるいは「火中」があり、背面下方が後補におきかわる(焼損した当初材が像内に納められる)など火中の痕跡をみせる。なお、台座銘によると、天和3年(1683)に京都洛陽の仏師山路茂直により台座、光背の修理がなされている。また納入品のうち阿弥陀如来立像の立てられた八角柱には明治18年(1885)の修理銘があり、背面の造作や納入品はこのときのものとみられる。
 山路 茂直はほかに、寛文11年(1671)に愛知郡南菩提寺村(東近江市)の人を願主として野洲郡市三宅村(野洲市)の安楽寺の聖観音台座を修理したことが知られている。

木造聖観音立像を正面から撮った写真
木造聖観音立像を横から撮った写真
木造聖観音立像を背面から撮った写真
木造聖観音立像の背面を開き中の一木を撮った写真
木造阿弥陀如来立像1躯と当初材断片3片の写真

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